柳なつきのブログ

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mixi日記2009年6月22日ぶん

★古文について徒然と

古文の入試問題が、私をいじめます。
助詞は生意気だと思います。この一学期、どれだけこいつらのせいで追試を受けたか。
もしかしてツンデレなのでしょうか?私のことが好きで好きでしょうがなくって、いたずらしちゃえ☆とか思っているのでしょうか?
だとしたら、かわいいやつらですね。

古文といえば、その時代の常識が欠かせません。私の古文の先生も、よく古文常識のお話をしてくれます。(例:「あさきゆめみし」の紫の上にズッキューン☆)
そのなかで私の好きな古典世界の常識があるのですが。
夢に時々、ちょっと気になっている異性があらわれたりするじゃないですか。それって現代だと、往々にして「私、やっぱり彼のこと好きなのかな><」ってなりますよね。
でも、古文は逆らしいです。つまり、夢に異性があらわれると、
「彼が私のことを好き」、
らしいです。なんという世界。
見も知らぬ人が夢に出てきて、「私実はあのお方のことが好きだったなんて!」と思って、見も知らぬその人に「あなた私のこと好きなんでしょ?」って手紙を送ることが、実際あったらしいです。で、その男のほうも、「ぼくは彼女のことが好きだったなんて!」って、結婚しちゃったりするらしいです。
もし好きな人ができたら、「私あなたが出てくる夢見たよ、実は私のこと好きなんでしょ?」なんて迫ってみようか知らん^^


古文の、というか昔の人々のもつ世界観はロマンチックな面があります。恋愛が風流なんだものなあ。

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★せんせいっ、って女子高生が呼ぶのが好き。モチーフとして。

先生と女子高生(ときどき女子中学生)って組み合わせ、よくありますよね。いわゆる禁断の恋。
先生に恋しちゃう子って、います。真剣に。そしてそういう関係になることだって、ありえます。
何故、「先生」という存在はかくも女子学生の心を掴んで離さないのでしょうか?

「ただの憧れ」だと片付ける人がいます。それも、確かにあるでしょう。でも、それだけでないとも思います。
女子中学生と先生の恋愛の小説のなかで、作家の姫野カオルコさんは、こう言っています。(すみません私のフィルター通してますが)
「だいたい中学生の男子なんてまだ子供。中学生の女子のなかには、既に大人になっている子もいる。子供と大人が釣り合うわけがない。男子は成長が遅いのだから、新米男性教師と女子中学生くらいで、ちょうど精神年齢のバランスがとれる。教師と中学生の恋愛は不自然どころか、かなり自然なこと」
すごく納得しました。それこそパカッと、スラッと。
先生と一部の女子中学生(または、中学生)の恋愛は、必然であるのかもしれません。

男子学生というのは、だいたいが(すべてとはいいませんが、大部分が)、付き合いたい付き合いたい付き合いたいっ、とひたすらに思っているようです。下手すると、「誰でもいい」らしいです。
でもって、女子学生というのは直接的な交際を避け、精神的な交際を求める傾向がつよいです。精神でつよく結びついていたい、という願望があります。加えて結構なロマンチスト。
これじゃあ恋愛がまともに成り立つわけがない。こういう事情が、学生時代の苦い思い出をつくりだすんですね。
対して先生というのは、やっぱり経験があるぶん大人。恋愛のことだって女の子のことだって、男子学生に比べればわきまえている人が多いです。それに精神的にも成熟している。だから早熟な女子学生と、ぴたっと合うんじゃないでしょうか?
女子学生と男性教師は、案外に近い位置にいたりするのかも、しれません。
敏感な子はそれを感じとって、強烈に、先生に憧れるのでしょう。


かく言う私、このモチーフが大好きです。
歯のうくような言葉をつかうと、「甘美」なんです。すごく。
背徳感もいい感じにあるし。燃えるしせつないし。
あと、「せんせい」って響きがいいです。
あとは……(ごにょごにょ)


なにかこの類の話があったら、ぜひ教えてください。

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