柳なつきのブログ

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いつだかきっと私は言った、「うち、東京行くんさぁ。」

(11月5日、ミクシィのほうにあげた文章です。)



(いつにもまして、まとまりに欠けます。多少個人的です。まさしく日記、という感じ。)


 季節の、変わりめだ。秋から冬へ。
 季節の変わりめというのは、いつもいろいろなことを思い出す。5歳の私8歳の私13歳の私15歳の私、それぞれ環境も考えかたもずいぶんと違っているはずなのに、なぜだかいつだって、身体に染み込む空気はおんなじ。しんとして、すがすがしくて、それなのにちょっとだけ埃っぽい、ちらちら輝く灰色みたいな空気。ふと空を見あげて、あ、冬がくるんだ、私はきっと、毎年そう思っている。夏には決して、思い出さない記憶。
 だから季節の変わりめは、心がしずかになる。5歳の私と8歳の私と13歳の私と15歳の私、そして今の私の瞳は、いっしょになっておんなじ場所を見つめる。そのとき私は、時間というものの幸福とせつなさを噛み締める。私は今あそこにいないのに、ここに今私はいる。
 狭間のような時間なんです、季節の変わりめというのは。ふと落っこちてしまうところ。

 しかし私は、高校に入ってからのできごとを、こうした気もちでしみじみと、思い返したことがない。
 それはきっと、高校というのは私にとって「今」だから。今このときは、高校一年の時間の延長線上に存在している。
 分かれめは、確か2008年の3月24日。私はこの日、群馬から東京に越してきた。つまりこの日から、私の「今」は、新しい章は始まった。群馬と、東京。このふたつの場所は、私のなかでくっきりとしたコントラストを描いている。
 だって群馬での生活と東京での生活は、あまりにも違う。だから致しかたない、のだ。たまにあの、観音さまがいつでも見ているあの街に、心が帰ってしまったって仕方ないのだ。そして、それなのに結局のところ、ぜったいに帰る気がないのだって、仕方ないのだ。だって、違うんだもの。時の流れが違うのだ、章が違うのだ、極端に言ってしまえば、すべてが違うのだ。たまにさ迷うくらい、良いでしょう? 私はそうしてさ迷いつづけるのだ、きっと。でもそれは決して絶望的なことではない。心の、帰着点が、あるということは。

 3月24日以前の、最後の記憶。
 それは蝶子さん(中学の友人)たちに、見送ってもらったことだ。しずかな見送りだった。手紙をもらった。ちょっとだけ喋った。いつも通りだった。あかるかった。ぼんやりと春めいていた。いつも通りだった、まったくなにもかもがいつも通り。しずかだった。曖昧に微笑んだことを、すごくよくおぼえている。
 ああ、私は、去るんだな。
 どうしようもなくそう思ったことを、おぼえている。
 そしてその翌日から、私は東京の人となったのだ。

 たかが引越しで感傷めいている、と言われてしまうだろうか。
 しかし。しかし「東京」というのは、それほどまでに「遠い」場所なのだ。夢を求めて飛び出してゆく、場所。極端に言ってしまえば夢の地だ。私のなかにそういった、浮っついた気もちがなかったなんて言い切れるだろうか? 東京。それは、ほんとに、遠かった。
 蝶子さんはこんなようなことを言っていた、「東京の空って狭い。きっと色んな人の想いで狭いんだ」
 群馬の空はだだっ広くて、いつだって星座がまたたいている。いっそ絶望的なくらいに。

 でも私は東京に馴染まない。好きだけれども慣れたけれども、きっと馴染むことはない。そしてそのことは、私をくすぐったい気もちにさせる。
 中学校の卒業式のあと、蝶子さんたちと電車で行った東京が、この東京といっしょだなんて、なんだか不思議ですね。あのどこか気だるい帰り道の雰囲気、今でもくっきりおぼえている。

 東京にきたことは、良かったと思っています。それは、ほんとうに。心の底から、私は今このときが、東京で過ごす今このときが大事です。
 でも思わずには、いられないんです。なぜだか。囚われてるって思われたって、それでも。


 ふたつの場所をもつということは、こんなにも、いとしいことなんだなぁと、いまだに思う。感傷かなぁ、やっぱり。