柳なつきのブログ

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受験は人を成長させる。(2010年振り返り、いち。)

(2010年振り返り、いち。「受験」)


 正直言ってもうほんとに参ったしやられたしああもう!って叫びそうになったことなんてもう数え切れないほどあるしほっぽりだして現実逃避したことなんてそれ以上にあるし、なにより、私は、もう逃げたい、と、そう思ってしまった。
 逃げたい、なんて、思ったのはじめてだった。
 自分で選んだことなのに。どうしようもなく、自己矛盾。

 それほどまでに、受験は私をうちのめした。


 苛酷であるのは、知っていた。受験コースに乗っかっていれば、そういった情報はなにもしなくても入ってくる。偏差値、倍率、ランク、判定、最低合格点。容赦のない数字やアルファベットが、次々と耳に飛び込んでくる。だから私のいちばん行きたい大学は、かなり難しいところなんだということは知っていた。
 でも私は、知っていた、ただそれだけだったのだ。だってわかっていなかった。大学受験ってものを、まったくわかっていなかった。どうにかなるって、思っていた。とくに進級したてのあたりはそうだった。そのころの私の模試の成績は、控えめに言ってけっこうよかった。だからどうにかなるだろうって思っていた。そう思って、なめていた。春。

 夏ごろからだ。成績が、ずるずると落ち始めた。当たり前の話だ、勉強をさぼっていておんなじ成績がとれるわけがない。
 このころになるともう周りはめちゃくちゃ頑張っている。焦った。私だけ、なんにもやっていない。今振り返るとまあ多少はやっていたのだけれど、あのときはもうぜんぜんやってないって気になっていた。
 机に向かう。シャーペンをもつ。まったく集中できない。時計ばっかり気にしてしまう。どうして。今までは、勉強に集中することなんて簡単だったのに。ちくたくちくたく、響く時計の音が、私を責めたてている気がした。焦る。英単語のひとつでも記憶しようと思う。でも、できない、頭が真っ白でなんにも入ってこない。フリーズしてしまうのだ、硬直状態。ノートや参考書を開いたまま、ぼうっとする時間が増えた。なんで自分こんな駄目なんだろうってもうほんとに泣けてきた。周りはあんなに、やってるのに。頑張ってるのに。二年生までの自信はどこにいったの、あのころの輝いていた私はどこにいったの、あのころの、実力は、いやじつはあんなのぜんぶ錯覚で、私はほんとは英語も国語もできないんじゃないか、得意なんかじゃ、ぜんぜんないんじゃないか、得意って思ってたこと自体が失礼な話だったんじゃないか、本気でそこまで思いつめた。
 勉強に関しては、ほんとに頭が真っ白だった。思考停止。あのころの私は、勉強についてほんとに思考停止だったと思う。私がもっとも嫌う思考停止。
 そうしてぼんやりしているうちに、夏は終わってしまった。残ったのは、曖昧なノスタルジアだけだった。そんな場合じゃないのにな、ってじりじり焼けるアスファルトの上を歩きながら、思った。
(ただ、このころ、勉強以外のものごとは非常に充実していた。それはそれ、これはこれなので、夏の過ごしかたについて後悔しているとか、そういうことはない。反省は、ちょっとしたけれど。あのきらきらしたできごとが起こらなかったとしたら、私の夏はまったくつまらないものになっていたでしょう。)

 原因は、わりとあっさり発見された。秋の話だ。文化祭で、盛りあがっているころ。
 世界史が、足を引っ張っていたのだ。とにかく。
 「世界史は秋からでも間にあう」という言葉を信じ、って言うか盲目的に信じ過ぎ、私は夏までほとんど世界史に手をつけていなかった。それはもう悲惨なできだった。正直に言うと、偏差値50もありませんでした。っていうかぎりぎり40あるレベル。こう書いてみると、改めて自分に呆れる。呆れ果てる。
 それで9月から、世界史を始めた。ちょっとずつちょっとずつ、勉強を始めた。空いていた夏の長いブランクを埋めるために、そっと、慎重に勉強した。おそるおそる、とも言えるかもしれない。
 それでもだんだん、速度をあげた。10月と11月は、ほとんど世界史に捧げた。すると11月が終わるころには、世界史の点数がちょっとずつ安定してきた。そしたらそれだけで、模試や過去問がずいぶんましになってきた。失いかけてた希望が、すこし戻ってきた。

 しかしこの世界史をやってる時期、精神的にずいぶん参った。あまりに絶望的で、くらくらしてしまうくらいだった。
 逃げたかった。なにもかも放り投げてしまいたかった。口ではわかったようなことなこと言ってる自分とじっさいの自分、その矛盾に潰れてしまいそうになった。
 なにしろ先は見えない。世界史は、全範囲終わってしまえばどうってことないけど、終わるまでは、これ終わるのか?って強く思ってもうほんと泣きたくなった。それにこの時期には、判定やら偏差値やら倍率やらが、ほんとの意味で心に染みてきた。要は現実的になってきたのだ。私の受ける大学の難しさを、思い知った。
 もくもくと、世界史をやる日々。勉強がたのしいって、このころにはもう思えなくなっていた。もともと好きで、やっていたはずのことなのに。いつのまにか、ぜんぜんたのしくなくなっていた。これは生まれてはじめてのことだった。高校受験のときは、たのしかった。なのに。そのときは、ぜんぜんたのしくなかった。機械的な暗記、抜けていく語句。その繰り返し。気晴らしに英語をやってみる、でもたのしくない。国語をやっても、たのしくない。受験がちらついてしまうのだ、いつでもどこでも。
 そしてこの時期は、推薦の人が進路を決めてゆく。心から祝福したいのに、できない、どうしても笑みが強張ってしまう、自分の心の狭さを知った。複雑な思いを抱いてしまった。敵意に似たものすら、抱いたことがあった。
 やがて、私はちょっとずつおかしくなっていった。世界史の参考書を、読むのだけれど、頭に入ってこない。気がつくと、三十分くらいおんなじページを読んでいる。何回繰り返して読んでも、頭に入ってこないのだ。シャーペンを握っていると、涙が出てくるようになった。ごはんがおいしくなくなってきた。ひとつひとつは、すべてごく小さな変化だった。私にしかわからない程度の変化だった。でもそれらの変化は、確実に私の心を反映していた。
 そして私はいっかい臨界点を越え、ついに逃走を図った。携帯電話の電源切ってテープでぐるぐるまきにして、東京から逃げ出した。
 数日はそのまま携帯電話を開かなかったけれど、ちょっと落ちついたとき、私は携帯電話を開いた。そのとき私ははじめて、自分がずいぶんと、身近な人たちに支えてもらっていたことに気がついた。と言うよりか、身近な人たちの存在にようやく気がついた。やっとだ。遅い。遅いけれど、気づいた。
 私は東京に戻ってきた。そして、やろう、と思った。やるしかない、と。もう、ここまできたら、泣いても喚いてもやるしかない。
 逃げられはしないんだ、ということを知ったからだ。いくらここから逃げたって、結局のところ私があの大学に行きたいと思う限りは、逃げるという選択肢をとることはできないんだ。有り得ないんだ。
 周りの人に、たくさんの感謝をして。自分のやりたいことをやるんだっていう、その気もちを忘れないで。
 受験をやりたいな、とずいぶん久しぶりに思った。

 そして今に、至るわけですが。

 まだ終わってないけれど、受験をしてよかった、そう言い切れる。「受験は人を成長させる」、あの言葉はほんとうだ。
 自分の弱さ醜さ不甲斐なさ情けなさ至らなさ、そういったものをぜんぶぜんぶ見せつけられた。容赦なく、突きつけられた。痛かった。すごく。でも今はよかったって、思う。
 これから二月まで、心はますます揺れると思う。でも、それでも、最後までやり切りたい。「つづける」ということが、「やり切る」ということが、いかに難しいか、いかに尊いことなのか。私はそのことも、知った。いまさらと言えば、いまさらなのだけれどね。実感として、はじめて知った。


 悔いのない結果を出してきます。
 頑張ってくるので、応援よろしくお願いします。
 いつもほんとうに、ありがとうございます。


(私の受験は、二月上旬までです!)