柳なつきのブログ

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身軽でありたい。

 身軽でありたい。
 自転車をふらふらとこぎながら、ふと、思った。かごには、ずっしりと重たい荷物。私はもともと、荷物が多いほうだ。どうやらそういう性質らしく、たくさんのものをもち歩かないと落ちつかない。本、お菓子、携帯電話、洋書、電子辞書、参考書、問題集、ノート、原稿用紙、ペン、えんぴつ、ストラップ、手帳……かばんのなかはいっつもごちゃごちゃで、もって行っても結局はつかわないようなものでいっぱいだ。もって行ってもつかわないって、経験からして知っている。だから家を出る前にはいつも、かばんからいろいろのものをとり出して、つかわないよなあ、これ、置いてったほうがいいよなあ、なんてしばらく考える。でも、なのに、結局はもって行く。外に出て置いてきたことを後悔して、心もとない気分になったらどうしよう。その恐怖が、うち勝ってしまうのだ。
 結局のところ私は、安心、をもって行っているのだと思う。これももってるあれももってる、大事なものはぜんぶここにある、そういうふうに身近なものもので自身の周りを囲むことで、自分の世界、を保っているのだと思う。すくなくとも、そのつもりであるのだと思う。
 でもそういうのって、なんだか余計に心細いし、はっきり言ってしまえば、貧しいことだなって思う。だって、それって、自分の身ひとつで勝負できないってことだ。自分に自信がないってことだ。それになにより、身体も気もちも重たくなる。ふわふわと飛べる気なんてしなくて、ただ這いずりまわってるような気分になる。
 動けないと、鈍くなる。そして腐ってゆく。たくさんの親しいものたちに呪いのようなきつい抱擁をされて、すこしずつすこしずつ、ぽろぽろと崩れ落ちてゆく。そんな気が、するのだ。
 身軽でありたい。
 手にしているこの荷物とおなじように、心まで、重たい気がした。どこにも行けない気がした。小さく息を吐いて、ああ、羽のように軽かったらどんなにいいだろう、空を見あげて、思った。

 でもじゃあなにももってない状態、たとえば生まれたてのときがいちばんいい状態なのかっていうと、やっぱりそういうわけではない。
 なにももっていないときは、ほんとうにこわかった。自分がいつか空気に溶け込んでしまうんじゃないか、世界に押しつぶされてしまうんじゃないか、そんな感覚があった。なすすべが、なかった。
 なにかをもつのは強くなることだって、そう思った。私は世界と戦わなければいけないって、思った。だから私は求め始めた、求めて求めてずっと求めて、そして、すこしずつ幸せになっている。
 なにかをもつのはひとつの幸福だ。それはほっかりと、大事な人からもらったお守りのように、自分を健全に守ってくれる。
 でも。でも、腐っていったら、仕方ない。私が動けなくなって立ち止まって、そして腐ってしまったら、そういった大切なものまでも腐っていってしまう。
 大切なものと、親しいものは違うのだ。大切なものだけあれば、ほんとは生きてゆけるはずなのだ。それなのに私は、自己を肥大化でもさせたいのか、やたらめったらいろんなものと親しくなりたがる。節操がないって、思った。
 腐りたくない。動いていなければいけない。常に、空を飛びまわるように動いていたい。そのためには、ポケットにひとつお守りがあればじゅうぶんなはずなのだ。
 でも、だからといってべつに、投げ捨てる必要はないと思う。だっていちおう自分で選んだ荷物なのだ、ずっともち歩いてきたものなのだ。でも。でも、もうもち歩くことは止めよう。どこか押し入れにでもそっとしまっておいて、ふだんはほんとに大切なものだけもち歩こう。
 そうしたら軽くなって、でも、大切なものはちゃんといっしょにあって、だからきっと、大空の果てまでも行けるはず。両手を大きく振ってさ、鼻歌なんかうたっちゃうかもね。

 身軽で、ありたい。
 明日はすこし、荷物を減らしてみようと思う。


(偏見とか常識とか先入観とか、そういったものも、荷物、だ。)