柳なつきのブログ

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超個人的アイデンティファイ話。(原液シリーズ)

(2009年12月19日、つまり高校二年の冬に書いた日記。)
(すごく、いま、こんな心境。それで引っ張り出してきた。)
(繰り返すんだなあ、こうやって。)


超個人的アイデンティファイ話。(2009年12月19日)


 露悪趣味から個人的事情を書き連ねます。

 私はきっと、平和ぼけしている。

 今この状況は、数年前たどたどしくそして必死に考え出した理屈を全否定するものです。「幸せ」なんて「善いもの」なんて存在しない、という。

 幼かったからだと言ってしまえばそれでお終いですが、それゆえか私はとにかく必死でした。血眼になって考えました。考えることにも実感が伴っていました。それは紙の上の話じゃない。目の前にある現実でした。

 私は絶望しながら、小説を書き始めました。絶望、多分それが、私の創作動機でした。あえて大袈裟に言ってしまえば、世界と対峙するにはその方法しかないと思ったから。

 しかし私は平穏な生活を知ってしまいました。アイデンティティの揺らぎだとか劣等感の塊からくる嫉妬と羞恥心だとか他人を見下し見下される虚しさとかどうせ駄目なんだという妙な無常観だとかもうぐっちゃぐちゃすぎて形容できない気持ちとか、そういうのとおよそ無縁な世界があるということを知ってしまいました。
 明日も同じことが続く毎日。明日も同じ人と話している毎日。明日も同じ自分。唾棄すべきものと思っていたはずのそれらは、思いのほか心地の良いものでした。

 アイデンティファイは終わったのです。いつの間にか。

 私は余裕の顔で暮らしているんだと思います。幸せになる恐怖すらぽかんと忘れています。幸せになることは恐怖であるはずでした。
 武器であったはずの、弱々しいけれどいつもぴかぴかに磨いてあった武器であったはずの小説すら、「ツール」に成り下がっていました。充実した暮らしのためのツール。生きがいだとか目標だとか言えば聞こえはいいかもしれませんが、でも、道具は道具です。頑丈な盾をぶち壊すことは出来ません。

 今の私には、必死さが欠けています。血を吐いてでもやってやるという気持ちが欠けています。呪詛を呟くように過ごしたあの日々を忘れています。

 初心に返るべきは私のほうでした。

 頑張ります、ということです。


(そして、やはり、頑張ります、ということです。)