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柳なつきのブログ

柳なつきのブログです。

バイトのこと。

日記

 以前、やってた、バイトのこと。

 ときどき、どうしても考えてしまうことがある。
 それは、辞めたバイトのことである。五月から九月までやっていた、古本屋のバイト。
 考えはじめると眠れなくなってしまうときがあって、だいたいきょうだってあーきょうのタスク終わったー寝よーと電気を消して平和に床についたところ、寝れなくて、起き上がって電気を消したままパソコンを起動しこの文章を書くにいたっているのだ。
 長く、なりそうだ。
 ちょっと憂うつだけど、書くしかない。

 私がバイトを辞めると電話を入れたのは、確か、九月の九日だったと思うんだけど、ブログを読んでもわかっていただけるであろうとおり、私は九月の五日までバイトを辞める気はなかった。ほとんどと言っていいほど、なかった。辞めればらくなんだろうなあとは思っていたけれど、辞めたら負けな気がしていたし、まだまだやってやるって気もあったし、いつかすごくなってほかのひとたちを見返したいって気持ちもあったし、まあ、辞めたい気持ちより辞めたくない気持ちのほうが勝っていた。
 たしかに八月ごろからなんとなく具合も悪くって、じっさい疲れていたのだとは思う。でもとにかく意識上、辞める気はなかったのだ。ほんとうに。
 じゃあ、なんで辞めたか、と言うと。
 私は九月の四日までぎゅうぎゅうにシフトを入れ、九月の五日から四日間、お休みをもらって中国に行ってきた。家族旅行だ。このときの私の状態が、まあもうすごかった。どこに行っても、ぼろぼろ泣いてしまうのだ。万里の長城天安門広場故宮博物院、すべての場所で私は泣いていた。ずっとうつむいていて、観光なんかほとんどしなかった。なにを思うというわけでもないのに、涙が止まらないのだ。もち歩いているノートになにもかもを書きつけていた。いまはいいけど、帰ったらまた生活が待っている。バイトに行くのがこわい。笑うのがこわい。みんな嫌いだ。みんな消えちゃえ。でも私がいちばん嫌いでいちばん消えちゃえ、というようなことをひたすらに書きつけていたように思う。だから私にとって、中国の旅は涙の旅となった。
 たぶん、張り詰めていたものが切れてしまったのだと思う。それまでは日々の忙しさみたいなものでどうにか保っていた糸が、長いお休みをもらったことで切れちゃったんだろうなあ。
 それで、ふだんは私のやることなすことにほとんど口出ししない母親が、辞めなさい、とはじめて言った。バイトを辞めなさい、あんたはもうおかしくなってると。それでまた、ぼろぼろ泣いてしまった。ああ、私、疲れていたのかもしれないと。
 バイト先の音ががんがん鳴り響いて寝られないことなどそういえばしょっちゅうだった。
 もう駄目だ、あんたは辞めないと駄目だと母は珍しく強い語調で言った。電話したくないなら自分がしてやる、なんて放任主義な母らしくないことまで言っていた。でもさすがにそれは、と思ったので、日本に帰ってきたその日に、私は這うようにして電話を入れた。私を雇ってくださった、えらいひとが出た。なんて言ったかよくおぼえていない。でもとにかく、そんな状態なら辞めれば?といったようなことを言われたときに、そうですね、辞めさせていただきます、と泣きそうな気持ちで答えたことだけよくおぼえている。でもふしぎと、声は落ち着いていたような気もする。
 かくして私は、バイトを辞めた。四ヶ月。考えてみれば、短い期間である。

 たった四ヶ月だというのに、あの生活は私のなかにさまざまなものを残した。
 なにより、ひと。いろいろなひとがいた。五寸釘うちたくなるくらいに嫌なひともいれば、ちょっと申し訳なくなるくらいいいひともいた。そのすべてのひとたちを思い返すとき、私の心は自然とざわつく。私はあのひとたちとの縁を、おそらくはかなりよくない方法でぶった切ってしまったのだ。働き続けていれば、もっともっと分かり合えたかもしれないであろうものを。
 よくおぼえている。最後に働いた日に、私はちょっとしたお説教をもらった。それは、もっとみんなと仲よくしなさいとのお説教だった。みんなで楽しくやってくためには、みんなのことを知らなきゃいけないと。でも、私はしらけていた。なんで嫌いなひとのことまで知らなきゃいけないの?って。
 そうだ、認めてしまおう、私はあそこに嫌いなひとが多かったのかもしれない。非常に。
 和気あいあいとした雰囲気だったし、とっても優しいし愛想がいいし、みんないいひとなんだって思い込もうとしていたふしは、たぶんたしかにあったのだ。あのひとたちを嫌ったら、なんだか自分が駄目な人間みたいで。
 でも、嫌いだったのだ。たぶん。
 社会とか仕事とか迷惑とか、そういう言葉が多用される空間。そんなの適当にこなしときゃよかったのかもしれないけど、私にはそれが、できなかった。
 掛川、おまえ、そんなんじゃ、社会に出られないよ。
 言われてしまいそうだ。そしてじっさい、そうなのだろう。そんなふうに語られる社会なんて出られなくてけっこう、なんて思ってしまうところが、もう私の駄目なところなのだろう。
 働くのに向いてないのだ、きっと。あの場所で、私が社会嫌いを増長させたことは間違いない。

 でも、ひとつだけ、忘れられない言葉がある。すごくよくしてくれた先輩が、私にさとすようにおっしゃっていた言葉だ。
 仕事でかけた迷惑は、仕事で返せばいい。
 私には、わからない。わかるようで、でも、私がわかってしまってはいけないのだと思う。だって私は、そんなことしたことないもの。できなかったもの。
 なんの、問題だったのだろうか。覚悟ってやつ?思いやりってやつ?責任ってやつ?
 わからない。私にはまだ、わからない。
 でも、その先輩にだけは、感謝しているってことはほんとう。
 いつか会ったら、いや、会うことはないんだけど、仮定の話として、素直にお礼が言えるといいのだが。

 辞めて、よかったと思ってる。生活はすごく穏やかになったし、いかに自分がおかしくなっていたかも気がつくことができた。
 でも、なら、どうすればよかったのかなあ。
 はじめから、バイトなんかしなければよかったのかなあ。
 堂々めぐり。めぐり続ける。私にとって、あの四ヶ月はなんだったのだろう?

 考え続けるしかないのだろう。いまは、まだ。


(たぶん、ないとは思うのですが、バイト先のかたがたにこのブログは教えてあるので、もしかしたら、いや、辞めた子のブログを読むなんて酔狂なかたはいないと思いつつも、もしかしたら見てくださっているかたがいるかもしれないといった思いを頭の片すみに置いて書いています。申し訳ありません、と言いたいところなのですが、私のそれはもう聞き飽きていることと思います。かと言ってありがとうございますもちょっと違うし、けっこうなんて言ったらいいか戸惑うところであります。でも、これらの逡巡を踏まえたうえで、あえて言わせてください。申し訳ありませんでした。ありがとうございました。私は、元気でやっています。)