柳なつきのブログ

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私のノート術。

 デジタル化のぐんぐん進む世のなかだが、私はいまだに、紙のノートを愛用している。

 ノート術という言葉があるということからもうかがえるように、どうにか工夫してノートとともに暮らしたいと考えるひとは多いようだ。

 私も、そのうちのひとりである。ノートのある暮らしをはじめてからわかったことだが、ノートの世界というのは、じつに豊かだ。

 しかし、ノートと仲よくなるにはだいぶ時間がかかったし、いろいろと工夫もした。

 きょうは、その軌跡をしるし、ノートを愛するひとと愛したいひとの、なにか助けになれればいいと思う。

 

 私は自分のノートを、「なんでもノート」と呼んでいる。

 なんでもノートはただいまナンバー18、およそ二年間にして十八冊のノートを書きつぶしたことになる。

 

 私はノートをつかい続けるにあたって、いくつかの心構えをもうけている。

 以下の通りだ。

 

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 少し読みづらいと思うので、書いてみる。

 以下は、おおざっぱな心構えだ。

 

・なんでも書く。

・他者に見せない。

・日付を必ず書く。(自分は生ものだから)

 

 そして以下は、心構えというより細かいルール。

 

。1ページにひとつの話題。

・ボールペンで書く。

・余白を多くとる。

 

 そして最後に、私の思うノートと向き合う姿勢。

 

・書きつぶす。

・読み返す。

 

 ひとつひとつの項目について、語っていきたいと思う。

 

★おおざっぱな心構え

 

●なんでも書く。

 私はさまざまなことをノートに書いている。

 ・仕事のメモ 

 ・スケジュール

 ・日記

 ・通信大学の勉強

 ・読んだ本の抜書き

 ・小説のアイデア

 ・イラスト 

 ・ツイッターのお気に入り

 などなど、ほんとうのほんとうに、なんでも書いている。

 手帳に勉強のノートに日記に、と分けてしまうと、一冊の情報量は格段に少なくなってしまう。開ければ私の情報がなんでも詰まっている、自分を再現できる、つまり私と面識がないひとが読んでもある程度人となりがわかるというノートを私は目指している。

 思考の摩擦が起きるのも面白い。前のページで書いた日記と次のページで書いた小説のアイデアがリンクして、新しい発送が生まれる、ということもまれではない。ぱらぱらめくっていると、そこには自分のいろんな情報が詰まっているので、思考が広がりやすいのだと思う。

 

●他者に見せない。

 これは、「他者に見せることを前提として書かない」と言ったほうが適切かもしれない。

 理由は簡単である。

 他者に見せようと思うと、気張って、格好よく書こうと思ってしまうからだ。

 体裁だけ整ったノートを、私はあまりいいノートだと思わない。それならば参考書を買えば、間に合っているからだ。もちろん、見た目麗しくそのひとの情報が詰まったノートというのも世のなかには存在するのであろうが、どうにも体裁を重視したノートは、そのひとの人間味が欠けている印象がある。

 それくらいなら、たとえ見た目は少々ぐちゃぐちゃでも。

 そのひとにしか書けないノートを思いっきりデザインしてほしいなあ、と思う。

 

●日付を必ず書く。(自分は生ものだから)

 自分の思考というのは、日々移り変わってゆく。

 自分の思考と自分の人生をリンクさせるのも、自分の情報を活用するためには大切だ。ああ、あのときあんなことがあったからこんなこと考えているんだなあ、とか。たとえばそれは、働き始めたから仕事のメモが増えたんだなあ、といった簡単なことでもいいのだ。

 日付を書いていないと、あれ、こんなこと考えているけれど、これって私の人生においていつ起こったできごとなんだろう……と混乱しかねない。

 自分の思考が、自分の人生と離れてしまうのだ。

 思考と人生をくっつけるために、どんなに面倒であっても日付は書くべきだと思う。

 

★細かいルール

 

●1ページにひとつの話題。

 こうすることで、自分の情報を管理しやすくなる。

 目次などもつくれるし、ただの日記がコンテンツとなることだってあるのだ。

 そのページにひとつの小さな題名をつけられれば、なおいいと思っている。

 

●ボールペンで書く。

 かならず、消せないボールペンで。

 自分の思考を消してはならない、と思う。

 それは大きな損失だし、なにより苦い経験になってしまう。

 効率化をはかるためでもある。

 

●余白を多くとる。

 ひとつには、読み返したときに書き込めるということがある。書き込んだときにも、もちろん日付は書くのだが。

 もうひとつには、余白を多くとることでたくさんのページが消費され、ノートをつかっている、という実感がもてることにある。

 ノートは、すくなくとも半分以上つかわないと、書きつぶしている実感をもちにくいものだと思う。

 

★ノートと向き合う姿勢

 

●書きつぶす。

 書きつぶしたノートの量が、そのままノートへの愛情だと私は思っている。

 

●読み返す。

 読み返せば、そこには自分の思考の世界がうわあっと広がっている。

 

 私は、ほんとうにノートというものを愛している。

 もっともっと、ノート愛好家が増えればいいと思っている。

 他者のノート術、そして他者のノートそのものに、私は非常に興味がある。

 ノートについて、ぜひ語らってみたいものだ。過去のノートの見せ合いなんかも、いい。

 

 ちなみに、私のノート術を確立するにあたって参考にした書籍がある。

東大合格生のノートはかならず美しい

東大合格生のノートはかならず美しい

 

  この書籍は、私のノートライフに大きな影響を及ぼした。

 余白を多くとる、といった考えかたは、ちまちまとノートをつかっていた私にとってじつに斬新だった。

 書きつぶす、という考えかたも、この本から得たように思える。

 

 ちなみに、続きもある。

東大合格生のノートはどうして美しいのか

東大合格生のノートはどうして美しいのか

 

  こちらは実例がさらに多く載っている印象。

 

 そして、もう一冊。

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

  このノートから、私は一冊になんでも書くという精神を受けとった。

「なんでもノート」のお手本である。

 

 みなさん素敵なノートライフを!

 

 以下、私の最近のノートをちょっとだけぱしゃり。

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→めもめも。スタンダートな使いかた。字は、私には読める。

 

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→むしゃくしゃしてるときに、ひたすら手遊びした結果。

 

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→裏表紙にイラストを描いてみた。とにかく楽しくつかうのが、大事。