柳なつきのブログ

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2014年7月3日のまとめ

 どうにも調子が出ない。すこぶる体調がわるい。
 午前八時ごろ起きて、先輩のぶんまでコンビニに食料を買いに行って、ふたりで食べるが、そのあとまた眠ってしまう。
 次に起きたのは午後の三時。用事で出かける先輩を見送り、ふたたび眠る。
 そして午後の七時に起きる。のろのろと仕事をはじめる。体調がわるい、とツイッターに呟いたら、心配してくださるリプが来て嬉しい。八時半ごろからチャットをはじめる。文芸サークルに新しいかたが入ってくださった。スカイプのIDを交換し、チャットで少しお喋りをする。そのままチャット会がはじまった。あと一週間で、あのサークルも一周年だ。
 途中で少し体調の悪化を感じ、午後の十時半ごろチャットを離脱。仕事も中断し、夜中の十一時半まで眠る。
 起きてからは『同志社大学神学部』をちょっとだけ読み進める。しかし、集中できない。
 心身ともに体調のすぐれない私を心配してくれた先輩が、お酒を飲もうと提案した。おつまみを買ってきてもらい、日本酒で乾杯。少し酔った私は、大学で心理学を専攻していた先輩に。心理学とは唯物論と違うのかどうなのか、と噛み付く。先輩は、かならずしも唯物論ではない、という。調べてみたら、むしろ心理学は心身二元論を取る立場が多いらしい。無知を反省。
 なにもやる気が起きなくなってフリーズしてしまい、午後の一時ごろ、早々に就寝。
 ほんとうに、頭痛と腹痛にやられて眠ってばかりの一日だった。


『右翼と左翼はどうちがう?』『同志社大学神学部』などの本を読んであらためて思ったのは、マルキシズムって一時の日本ですごく流行ったんだなあ、ということ。
 マルクスも一回きちんと読んでみる必要がある。しかし私には、その前に、読むべき本がたくさんあるということもまた事実。

同志社大学神学部』に、バルトに対して批判的な教授が登場する。

 

「しかし、先生、現代の教義学はバルトの影響下にあるんじゃないでしょうか。プロテスタント神学だけではなく、カトリック神学にしてもそうです。第二バチカン公会議をはじめたローマ教皇ヨハネス23世もバルトの影響を受けているのではないでしょうか」
「それはそうです。それだから、バルトには危険があるのです。佐藤君は、バルトが『神学はもっとも美しい学問だ』と言ったことについてどう思いますか」
「………」
「僕は、神学を美学と結びつけることには危険があると思います。神学は、もっと人間的で、ドロドロしたものじゃないといけない」
「どういう意味でしょうか。よく分かりません」
「バルト神学は、あまりにもよくできすぎているのです。神学とは、バルトのように整合性がとれた学問であってはならないのです。それに教義学という発想自体が間違っている」
「どういうことですか」
「教義、つまりドグマ(Dogma)とは、教会が定めた絶対的に正しい真理のことです。カトリックの教会にはこのような教義がある。それに対して、プロテスタント教会は、絶対に正しい教義などは存在しないというところから出発しなくてはならないと僕は思うんです」
「それでは、プロテスタント神学には、教義ではなくて、何があるんですか」
「教理です。ドグマの複数形のドグメン(Dogmen)です。それぞれの教会や神学者が、時代的、地理的、能力的制約の中で、正しいと信じた教理が複数在するのが、プロテスタント神学の特徴です。僕は協議学を担当しているけれど、教義学という表現は正しくなく、ほんとうは教理学と言い換えるべきだと思うのです」
「しかし、バルトがいう教義も、そのような多元性を含んでいるのではないでしょうか。少なくともバルト自身はそのような説明をしています」
「佐藤君は(バルトの主著である)『教会教義学』をどこまで読みましたか」
「第四巻創造論第三部の倫理の部分しか読んでいません」
「『教会教義学』は、全体をきちんと読んでおく必要があります。特に僕は、あなたが読んでいる倫理より前の創造論第一部、第二部を読んで違和感を覚えました。神の啓示一本だけで、自然の意味をまったく認めないのは、おかしいというよりも危険です。バルトがいう多元性にしても、『実は自分が絶対に正しいが、お前もいつかはわかるだろうから、間違えた考えをもっていてもとりあえず見逃してやる』という傲慢な考えに基づいているのではないでしょうか。どうもそんな気がして仕方ないのです」
佐藤優同志社大学神学部』P112~114)

 

 面白くって、この箇所だけでも何度も読み返した。
「神学はもっとも美しい学問だ」――。
 非常に惹かれるフレーズだけれども、忘れられなくって反芻するくらいに惹かれるフレーズだけれども、でも、その美しさのなかには危険が潜んでいるのだろうたしかに。
 勉強することによってその危険は回避できる。
 美学と神学。興味あるそのふたつの分野について、私は、もっともっと知る必要があるのではないかと切実に思っている。

 そして願わくばそれを小説にできたら――。

 

同志社大学神学部

同志社大学神学部