神義論からハルキストまで(某所にて)
神義論からハルキストまで(某所にて、2016年08月02日)
ちょっと整理。
●プロテスタント神学における四つの神義論(マイケル・ピータースンによる)
・自由意志神義論(アルヴィン・プランティンガ)
・自然法神義説(リチャード・スウィンバーン)
・プロセス神義論(A.N.ホワイドヘッドとチャールズ・ハートショーン)
・「霊魂形成的」神義論(ジョン・ヒック)
いまはプロセス神義学を詳しく追っていっている。著者の佐藤優氏は、このプロセス神義学のリストの系譜にさらにユダヤ教のカバラー思想を援用したユルゲン・モルトマンを加えている、と。ここらへんまではじっさいに本文から取ってきてまとめたものである。ふむふむ、なるほどな。
最後まで読まないとなんともだけれど、プロセス神義学はすごくしっくりくる。自由意志神義説は典型的なプロテスタントって感じで見飽きたし、自然法神義説はカトリック神学的な楽観主義から脱却していないように思われる。「神は収縮」したと考えれば、パズルのピースがいままでよりはうまく嵌まる。
そしてなんだ、モルトマンの思想をみごとに表現しているのが村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だと……?なにそのすっげー楽しそうな話題、すごく気になる!多崎つくるも当然読んだよ!便宜上「パスタ系」と「井戸系」に村上春樹を分けるなら、最新の「パスタ系」のやつだよね。
村上春樹は中学一年生のときに『海辺のカフカ』を読んで、わけがわからないなりに嵌まって、短編集やエッセイを含めて、当時出ていたぶんはほとんどすべての著作を読みました。さいきんでもまあまあ追ってる。けれど私はいわゆるハルキストではない、と思う。やれやれ、って思ってるわけじゃないし。
世のなかにはね、村上春樹を読んでいると言うだけで、訊いてもいないのに自分がいかに読書好きでいかにお洒落でいかにハルキスト的かを語り出すひとたちと、訊いてもいないのに自分は村上春樹だけは嫌いだいけ好かんみたいなことを語り出す、そういうふしぎなひとたちがいるので、要注意なんですよ。
もっとふつうに読めばいいのにねー。ひとごとだけれどもったいないことしてると思うわー。
まあ、なんであれ、有名になったものは避けて通れないプロセスだよね。いろんなひとがいろんなことを勝手に言う。もちろん、私もね。でもいま言っていることは私が思っていることなんだなーと、それを自覚することで、会話や議論はたしかに慎重かつ繊細になると思うんですよ。力まかせのお喋りは嫌い。
悪口になっちゃってもあれなんでここらへんでストップしておこう。読書に戻る。
いまのコメント:佐藤優氏の『神学の思考』を読んでいたときのツイートだと思われます。