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柳なつきのブログ

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かがこなとーく後半(某所にて)

かがこなとーく後半(某所にて、2016年08月02日)

前半→かがこなとーく前半(某所にて) - 柳なつきのブログ

 

自分が沼に嵌まったカップリング一覧を見返したのだけれど、NLにBLにGLにもうなんでも来いって感じで、ほんと、見境がない。でもそれぞれほんとに愛おしいよ。さっきも言ったけれど、依存のかたちって人間の数とおなじ数だけあるし、それが密にかかわりあう恋愛っていうのは至高だからねほんと。

前置きとして、私は心理学をまだまだ勉強中の身で。フロイト派でもユング派でもないけれど、現代の心理学はもっとわからんっていう、そのくらいの感想しか抱いていない初学者。だからこれから家族や依存やトラウマなどに絡めてかがこなを語るけれど、私の個人的な観察と考察の結果と思ってください。

トラウマという概念を用いる時点で、いくぶんフロイト的ではあるのだけれど。あえてどの心理学者に影響を受けたかっていえば、いちおう何冊か本を読んだフロイトです。限定的だけれど発達心理学もわずかにかじった。あとはどちらかというと必要に応じて精神分析系。でも心理学の履歴はそんなもんだな。

さっき、つかさがキーパーソンってところまで話したんだよね。かがみは人生の初期、あるいはこなたと出会うまでは、つかさに依存していたはずなんだよ。かがみは面倒を見るというかたちで依存するタイプだ。すこし抜けた妹に対しては、もちろん愛情もあっただろうけれど、その対象でもあっただろうね。

これはかがみにかぎらないことだ。だいたいの人間が生まれてはじめて依存するのは、家族だ。ただし家族構成や事情によって、そのかたちはかなり違ってくる。当然いろんなかたちがあるのだけれど、かなりざっくり分ければ、縦依存型と横依存型っていうのがあると私は思っているんだよね。

縦依存型とは、父母とか祖父母とかその他保護者とか、下の世代から上の世代へ依存することだね。上向き依存型ともいえる。ここにおいては関係ないけれど、下向き依存型というのもあって、これは上から下へ依存することだね。前者は人間にとってマストだけれど、後者からは早く脱却したほうがいいかも。

縦依存型は私も含めてひとりっ子家庭にとくに多く見られるので、ここではこなたのことを取り扱おうと思う。こなたも人間なので、幼いころはおそらく父親のそうじろうに上向き依存をしていたと思われる。そうじろうはこなたに下向き依存をしなかったんだよね。その代わりに、豊かな文化世界を与えた。

これはこなたにとってかなり決定的なことだったと思う。ましてやそうじろうはプロの小説家だ。文化世界にどっぷり漬かればどんなに世界が開けるか、こなたは肌で感じて知っていたはず。だからこなたは、人生のわりと初期において上向き依存を、ひいては依存そのものを終了させたのではないかと思う。

ああ、書き忘れたけれど、ここで言うこなたの依存っていうのは、精神面での依存ね。精神的な自立が早かったひとほど社会的あるいは生活的あるいは経済的自立を重視しないという逆説的な傾向が、なぜだかしばしば見られる。もうこれ以上自立しなくっていいと思うのかもしれないね。私もわりとそうだし。

中高生時代ってどこまで成長できるかデスゲーム、みたいな側面があると思っているのだけれど、内面世界の構築と外的世界への適応は、ふしぎだよね、私が見てきたかぎりほとんどかならず反比例しているんだよね。こなたとかがみはここらへんも対照的なんだよね。だからかがみはこなたに出会って驚く。

で、やっと横依存型の話に入れるんだけれど。兄弟姉妹がいるひとというのは、人生の初期における依存対象を選べる。そんなことねーよ!って声が多くの非ひとりっ子のかたがたから聞こえてきそうだけれど、あえてここは主張させて。だってあなたたちの家には、父親と母親以外の人間がいるじゃないか。

もちろん、服やスイーツを選ぶみたいに、依存対象を選ぶわけではないよ。もっと切実で深刻でなおかつ無意識下で起こることだ。両親に依存して兄弟姉妹にも依存する、という構図が見られないわけではないが、兄弟姉妹だけに依存するひとも多いと思うんだよね。どうしてかは、むしろ私が教えてほしい。

そんなこんなで、おそらくは十年以上のあいだかがみとつかさは一種の共依存関係にあったと思うんだよ。もっともつかさのほうが依存の程度は低かったと思う。これにはいちおう根拠があって、つかさは料理という世界を幼いころからもっていた。かがみもゲームはするし本は読むけれど、それは趣味だ。

つかさにとって、かがみはたよれる優しいお姉ちゃんって感じなんだと思う。そんなつかさだったからこそ、かがみも面倒を見ることができた。かがみはそこに居場所を求めていた。けれど、あえて雑な言いかたをすると、つかさよりもさらに「駄目」な相手と出会ってしまうんだよ。それがこなただった。

何巻だったか忘れたけれど、あとのほうの巻で、つかさとこなたの出会い、こなたとかがみの出会いというおまけの四コマ漫画がある。つかさはたしか武道ができるこなたを単純にすごーい!みたいな感じで見つめるだけなのだけれど、こなたとかがみの出会い、この四コマ漫画を読んだときは衝撃でなあ……。

最初、かがみはこなたの表面しか見ていなかった。表情が少なくクールで運動ができる、わりとハイスペックな妹の友だち、って感じ。いい子じゃない、つかさの友だちにするにもこの子なら安心だわ、って感じだったんじゃないかな。そんな描写もあったような。けれどその関係性が決定的に変わる日が来る。

うろおぼえで失礼なのだけれど、ある日、こなたがかがみのクラスに来て、宿題を見せてくれーとお願いする。かがみは快諾し、いいのよ、困ったときはお互いさまじゃない、と言う。だがその後こなたは頻繁にかがみのクラスを訪れ、お互いさまではなく一方的にかがみにたよるつもりなのだ、とばれる。

かがみの反応がすんばらしくってなあ……せりふを忘れてしまったけれど、こいつは……!みたいなことをこころのなかで突っ込むわけなんだよ。おそらくははじめてのこなたに対する突っ込み。そしてはじめての「こいつ」呼び。つかさに対してすらしない呼びかた。私はね、あれ、惚れた音だと思うよ。

 

いまみて:かがこな……………………。