柳なつきのブログ

柳なつきのブログです。

将棋の弱いお姉ちゃんです。

 きょうは親戚の家に行ってまいりましたー。

 年始ですからね。

 わりとどうでもいい雑談になりますが、話していこうと思います。

 

 いやあ、大叔母のつくってくれた茶碗蒸しがおいしくって。おつゆがたくさん入ってるんですよね、つゆだく。柔らかい感じです。おだしの味がよくってですねー。固い茶碗蒸しも嫌いじゃないですが、なにぶんこんなに柔らかい茶碗蒸しを食べたことはいままでそんなになかったので、おおっ……と思いました。

 あと、はとこにあたる四歳の男の子とスピードやったり将棋やったり。スピードは、手加減しないからな!と宣言して、僅差で勝ちました。おとなげないですねえ。でも将棋は、私がうっかり二歩してしまって、途中で負けてしまいました。うーんほんとのほんとに初心者、って感じです……!あのまま続けてても、負けていたのではなかろうかなんて!

 あ、あとそのはとこに教えてもらったのですが、なんでも殺しの七並べというのが、この世には存在するそうな……。なんだその物騒な七並べ……と思ってやってみたら、まあ意外とルールが難しいんですね。っていうか、ふつうの七並べに慣れ親しんできた私にとっては斬新すぎるルールで。囲って相手を潰すと、ふつうの七並べ以上に性格のわるさが出るなあ、と。うちでは、七並べは性格のわるさが出るものだーっていうことになってるんです。

 いろいろと、プライベートな話もできてよかったです。とくに大叔母とは、たくさん話しました。金のわらじを履いてでも、という話がなかでも印象に残ってますね。うん、その話は、思わず身近なひとにラインしてしまったくらい。

 そして、それとはべつの話ですが、締め切りはぜったいに守らないと駄目だよって言われました。はい!

 

 きょうは、話し言葉や書き言葉について、そしてツイッターと話し言葉の親和性などについてお話しようと思っていたのですが、親戚の家に行ったことが楽しくって、思わずそちらばかり喋ってしまいました。

 あした以降、大きなできごとがなければお話したいと思います。

 あっでもあしたは群馬に帰省するんだよな……はたしてどのタイミングで、ブログが書けるのか。それはあしたになってみないと、わからない。

 

 さすがに今年は、お年玉はほとんどもらわなかったですけれども!そのことがちょこっと誇らしい程度には、まだまだ私は新米だなあ、と痛感したしだいです。

元旦から、大学生らしいぼやきなど。

 あけましたね。

 あけましておめでとうございます。

 今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 おせちとお雑煮を食べたあとは、おもに自室で過ごしました。

 昼間は、通信大学のレポートに取り組みました。法学です。刑事訴訟法319条1項について。

 ある程度、レポートの書きかたみたいな本も読んで、教科書と参考文献を読んで、考えて、じぶんなりにまとめたつもりでは、あるのですが……。

 これが、うまくまとまらない。なんて言うのか、すかすかの文章になっちゃうんですね。レポートは1600文字から2000文字のあいだと決められているのですが、最初書き上げたときには1200文字ちょっとしかなく、ほとんど水増しするかたちで仕上げてしまいました。

 うーん。いいかげん自覚する必要があると思うのですが、学術的な文章を書くのが、私はどうにも苦手みたいです。

 原因のひとつとしては、たぶん、具体的思考が下手だということが挙げられると思います。具体例が極端にすくないから、説得力がないという。まとまりも、ないんでしょうね……。理路整然と、書けない。あとは主観が混ざってしまことも挙げられるでしょうか。どうも、感情的になってしまうんですよね。私の書く文章というのは、すべからく、感情がこもっている。私らしい文章を、抜け出せないんですよね。

 と、いろいろと分析していても仕方ないというか、まあ、けっきょくは書いて慣れていくしかないのだとは思います。書いてきた量が、すくないんでしょうね。あとは……なんだろう、思い当たることはあるけれど、なかなかこの場においては突き詰めたくない問題ですねえ。

 こんかいのレポート、なんだか不合格になるのがちょっとだけこわいけれど、とりあえず書き上げたものだし、提出してみようと思います。

 

 あらためまして、新年の抱負、というかやりたいことを。

 本を出すこと。これはほかのすべてのことに優先します。

 アトリエシリーズを攻略していくこと。ステロロ!

 引き続き、学んでいくこと。

 

 このみっつのことさえ充分にできれば、私は、おおむね幸せなのだと思います。

 ……おおむね、ね。完璧に幸せになるには、ほんのわずかに足りない気がするけれど。でもそういったもろもろの問題だって、いつかは解決するだろう。

 

 あしたからは、親戚の家に顔を出したりなんだりするのが、三日間くらい続きます。

 でもそのなかでも、どうにか時間を取って原稿を進めます。

 

 それでは、あらためまして。

 みなさま今年もどうぞよろしくお願いいたします!

それでも私は、たゆたった。(2014年を振り返って。)

 大晦日ですね。

 私は、身の周りに起こったことをわりと片っ端から忘れていくので、一年を振り返るという行為が困難だったりするのですが、せっかく節目の年でしたし、できる範囲で振り返ってみようと思います。

 あと、来年のこともすこし。

 

 今年は、やっぱりなんと言っても、本を出版させていただいたことが、いちばん大きなできごとでした。魔法のiらんど文庫より、『天使は、二度泣く。』という本を。

 なんだかんだで、書かねば、と思っている人間なので、じぶんの小説を世に出せたということは、これは大きな一歩だと考えていいと思っています。

 この本にかかわってくれたすべてのみなさま、読んでくださったすべてのみなさまに、あらためまして、お礼を申し上げます。ありがとうございます。

 

 本を出したおかげかどうかは知りませんが、人間関係も大きく変わった年でしたね。

 親しかったひととちょっとだけ疎遠になったり、ということも、なくはなかったのですが、それ以上に出会いと発見がたくさんある年でした。

 まあ、人間関係にかんしては、シェイクスピアじゃないですが、終わりよければすべてよし、って感じですかね……ほんとうに。いつもそばにいてくれるひとに、感謝なのですよー。それこそ、肩をばしばし叩きたいくらいに。叩いてくるか……という、はた迷惑な面ももっている柳です。

 

 そして、来年は、また本を出したいです。

 そうだよね、私の本質はやはり小説家だもの。

 こっそりと、動いてはいるのですがね……お知らせできるようになったら、お知らせさせていただきますので、そちらもなにとぞよろしくお願いいたします。

 

 あとは来年も引き続き、学んでいきたいです。私が書いている小説の本質にも、深くかかわってくることを、学んでいます。その分野には、現在ものすごく興味があり、拙い独学ながらも、すこしずつ、すこしずつ学んでいるところです。

 私は翻訳書を読むのが、すこしばかり苦手でして。でもだからこそ、来年は、翻訳書に本格的に取り組みたいと思っています。とりあえず、カール・バルトなどの神学書の読みかたがわかるかたや、あるいは神学書などに興味があるかたがいらっしゃいましたら、ご連絡いただければ、なんて思います。こんなとこで、ゆるぼ!

 

 そうですね、あとは、だいじなひとたちと、来年もいろんなところに行きたい。

 江ノ島、行こ!江ノ島!あっ大阪もかチェコもか!

 

 今年のような年に、来年もなればいい。

 そう思える程度には、いい年だったと思ってます。

 大きな海に投げ出された私は、それでも平穏に、波の上をたゆたうことができたみたい。とりあえずは、ね、たゆたっただけでも上できとしよう。

 

 さて、年が明けたらだいじなひとと初詣に行ってきます。楽しみです。

 みなさま、今年もほんとうに、お世話になりました。ありがとうございました。

 よいお年を!

慎重にならざるを得ないというところもありまして。

 なにかを得るためにはなにかを失わなければならない。

 

 どこかで聞いたことあるような、そんなこの台詞。いままでの私には、いまいちぴんと来ていなかった。すべて得ればいいじゃん。そんな傲慢を、心のなかでは平然と語っていたように思う。

 でも、最近、思った。

 

 無理なのだ。

 ぜんぶ得るというのは、無理。

 

 たとえば私は毎日ブログを書くという習慣を、得たい、と思っている。

 だが私は小説も書きたいし本も読みたいし勉強もしたい。やりたいことはこれ以外にもあって、もうとにかく、いろいろなことに手を出している現状がある。

 一日の時間は、残念ながら限られている。そのなかで、十個も二十個もものごとをこなすのは、そう、無理なのだ。

 

 なにかをはじめるということは、それが日常に入ってくるということ。

 そのものごとに、自分の大切な日常の一部を捧げてもいいか。

 よくよく、よく、考える必要があると思いました。

 

 そしてほんとうにやりたいことだけに時間をつかうこと。

 みんな大事、だなんて言ってるひまはないはずだ。これが大事、と決めなければ。

 

 たぶん、こんなことって、みんなは受験期あたりに気がつくことなんだろうけれど。

 私は、少し遅かったみたいだ。

2014年7月7日のまとめ

 今日は打ち合わせのあと、自宅に戻る予定。
 昼前、先輩に起こされて目覚める。イタトマで朝食。十二時過ぎ、先輩といっしょに出発。
 電車のなかで、私が小説のコミュニティの話をするとどうしてなかなか聞いてもらえないのか、ということを話す。やはり、嫉妬ではないか、という方向に話は進むが、その結論が正しいのかどうかはいまだにわからず。
 先輩といったん別れて、打ち合わせに向かう。
 打ち合わせが終わったあと、秋葉原で先輩と合流。ラーメンを食べる。先輩の顔色がわるくって、心配。荷物を持ってもらって、私の自宅へ向かう。
 荷物を自宅に置いて、駅近くのイタトマでゆっくり過ごす。私は『同志社大学神学部』を読み終え、感動していた。そしてそのままの勢いで、ネット上に掲載されている「日本人のためのキリスト教入門」を読みはじめる。先輩はずっと日本地図やら東京の地図やら描いていた。私にはわからない趣味だが、楽しいならばなにより。
 七時ごろ、先輩を見送る。今日から別々に暮らすのだ。いまいち実感が湧かないまま、本屋で小説やら英語の教材やら歴史の教材やら買い込み、買い過ぎて、ああ、私は疲れているのかなとふと思う。
 帰宅して、なにをしていいのかわからないなりに、勉強をはじめる。「日本人のためのキリスト教入門」を読んでノートにまとめたり、簡単な英語を訳してみたりする。簡単な英語でもわからなくなっていた、ということがわかる。ふたたび英検準一級に挑める日は来るだろうか。
 先輩と電話して、なんとなく疲れて、この日は夜十時ごろ就寝。

 英語を勉強しながら思ったこと。
 学ぶことが、知的好奇心を充たすためだけに終始してはいけない。知的遊戯に陥ってはいけない。前々から私は、ディレッタントに陥らないこと、と言っているがそれはこういうことだ。
 ではなんのために学ぶのか。
 多少なりとも、自分のため、そして世のなかのためになると信じながら、学ぶ必要があると思う。
 いずれは自分をよくするのだ。そして世のなかをよくするのだ。これこそが、学問の希望であると思う。

 個人的な想いもいろいろあった一日だったが、流れ星にも祈らなかったし、それでいいのだとも思う。

2014年7月6日のまとめ

 友人宅で目覚める。朝の七時。寝不足な感じはするが、目が冴えてしまって起きる。Nとほとんどおなじタイミングで起きた。Sも十分ほどするともぞもぞと起き出す。
 朝食を食べたあと、三人で粛々と化粧をした。ほんとうに、粛々としていた。朝、薄暗い部屋で、沈黙しながら化粧をする女三人。それこそ小説にでもなりそうだ。
 十時近くなり、アパートを出る。駅ビルに行き、ショッピング。私はワンダーロケットの服をどっさり買った。いまの体型では似合わないなあと思ったけれども、いや、それならば痩せるんだと自分に言い聞かせる。なにしろワンダーロケットの服は、かわいい。
 昼はインドカレー。三人で寝ぼけ眼を擦りながら、楽しかったね、と言い合う。私は師匠と弟子っていいよね!必要だよね!といった話をした気がするが、どうしてあのタイミングで言ったのかよく思い出せない。まあしかし、私に小説の師匠的存在がいてくれてよかったということは事実。
 昼過ぎの中央線で先輩の家に帰る。一時間ほど倒れていた。なんだかんだで午後の四時。
 先輩が帰宅して、怒涛の話し合いがはじまる。いやあ、激しかった。
 私は自宅に戻ることにした。互いの生活を立て直すことを約束する。
 イタトマで立て直しを記念して祝杯。酔う。
 そして夜遊び。
 先輩の家に戻って、酔いで痛む頭を抱えながら眠る。午前一時くらいだったかな。

 ひとりでいなければ自立はできない。当たり前のことを、忘れがちになってしまうときが私はしばしばある。Sの言っていた通り、適度な距離感というのが、ほんとうに必要なのかもしれない。
 ずっといっしょ、なんてありえない。
 それはなんという希望で、なんという絶望だろう。
 だからこそ、私はきっと。
 ずっといっしょ、という関係性を、描き続けたいのだろう――。

2014年7月5日のまとめ

 中学のころの友人たちと会う約束をしていたが、起き上がることもできず、ずるずると夜になってしまう。
 先輩が、とりあえずスタミナをつければ元気が出るかもしれないと言い、とんかつ屋に連れて行ってくれる。かつとクリームコロッケの定食を頼む。先輩が塩でかつを食べていたので、真似してみた。私はやはり濃いソースのほうが好きだ。だが地の塩という言葉を思い出したりもした。
 少し回復したので、中央線に乗って友人宅を目指す。『LOVEずっきゅん』の「わたし中央線乗り越して気付いた明日は始業式」という歌詞を思い出したり、三鷹の高校を受験しようと想っていた時期もあったなと思ったり。
 友人宅の最寄り駅に到着。本日会う友人はふたり。この九年間途切れることなく連絡を取り合ってきた友人Sと、六年ぶりの再会になる友人N。Sは髪型が私と似ている以外は相変わらずだという印象。そしてNは相変わらず清楚でかわいらしい。
 詫びの日本酒を渡す。Sは夏に留学する予定なので、先輩と私からのそのお祝いでもある。
 名探偵の名前を冠したイングリッシュ・パブで、しばし歓談。これまでの人生のあらすじなどを互いに話す。Nが順調そうでよかったな、と想う。私は自分がちゃらんぽらんな人生を送ってきた、と言った。じっさいにちゃらんぽらんな人生だ。弾みでオレンジテキーラのオレンジを落っことした。その動作みたいにお前の人生はちゃらんぽらんだな、といったことをSに言われる。その通りなので笑うしかできない。
 けっきょく、午前一時まで飲む。ドンキホーテに行ってお菓子を買い、Sのアパートで軽くパーティ。私はしきりに、Nに再会できてよかった、と言っていた気がする。
「ほら、不登校の子に対してってさ、一段低くみたりするじゃん。一段低くって言いかたが適切でないなら……別世界の人間、みたいな。でもNはそんな偏見もたなかったんだよね。ふつうに私に接してくれた。それがすごく嬉しかったし、助かった」
 私は中学のころ不登校だった。
 三時ごろ、Nは就寝。Sとふたりで廊下に出て、YouTubeで動画を流しながら、人生を語り合う。互いに難儀。仕方ない。相も変わらず。
 四時過ぎに、カーペットの上で毛布にくるまり就寝。

 時は流れる。
 変わらないこともあれば変わることもある、なんて一般論を言うのはたやすい。
 私と友人たちの関係は、あきらかに、変わった。
 おとなになった。
 おとなになることを拒んだことなどない。しかしそれでも、ときおりそのことがちくりと痛むのはどうしてだろうか。
 どうしてだろうか。
 あの青春の狂気を繰り返したいなんてさ、冗談にも程があるから。
 それにしても、私はほんとうに安心した。
 私たちは、もはやふたりきりではないのだし――。

 しかし、このことを、きっと私は書き続ける。すくなくとも、しばらくのあいだは書き続ける。
 それほどまでに強烈な中学時代の残滓、とは。
 そんなことを考えていた、S宅の薄闇のなか。

 楽しかった。
 次は四人で集まりたいね。