柳なつきのブログ

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2014年7月2日のまとめ

 昼間はうとうとしていた。仕事はあんまり手につかず。
 最近どうも、夜に眠れなくっていけない。
 先輩に、私は頭がよくない、とさんざん愚痴を漏らしたが、午後の三時ごろ先輩によい報せがあって私自身も元気になる。
 夕方は、五反田に出て知人に出版祝いをしてもらった。焼き肉。おいしかったなあ。私の『天使は、二度泣く。』を褒めてもらい、嬉しかった。作家であるその知人いわく、私は新人離れしているらしい。そして『天使は、二度泣く。』はなにかを読者に残すと。読み捨てではない、と。
 五反田のブックファーストで『同志社大学神学部』『本当にわかる宗教学』『イエスの生涯』『月刊少女野崎くん(4)』を購入する。本屋のカウンターに自分の惚れた本を差し出すときの、快感。
 先輩と合流。HUBに行く。酒は飲まなかったがチーズやナッツをつまんだ。ワールドカップが流れていた。スポーツの話や宗教の話など、とりとめなく。
 帰宅してからは、しばらく『同志社大学神学部』を読んでいた。政治の話は私には少し難しいが、この本はとても面白い。京都の雰囲気。世のなかには、政治的才能や宗教的才能をもっているひとがたしかにいる。同志社大学神学部の自治という概念。さすがにカルヴァン派の流れを汲んでいる。
 先輩と他愛ないことで口論。和解する。メールに気がついたが返すような時間ではない。夜の二時ごろ、就寝。
 
 私は小説を書くし、いまは創作的人間であるというところがどうしても目立ってしまうように思えるけれど、誤解を恐れつつもあえて言ってしまうのならば、じつはあんがい学問的人間で、なおかつ宗教的人間であるのではないかと思っている。
 遠藤周作の著作『私にとって神とは』で、私は、宗教的才能という概念を知った。
 家族にも親類にも知人友人にもキリスト者がほとんどいない私が神の存在を信じてしまうとは、これはもう、そういった種の才能が少しばかりはあるといって差し支えないのではないかと思った。

 私が近ごろいつも思うのは、どうにかして創作的領域と学問的領域と宗教的領域を結び付けられないか、ということだ。
 池田晶子氏が哲学的小説というものを試みたように、私はいつか宗教的、もっと言ってしまうのならば神学的小説に挑戦してみたい。
 私はまだキリスト者ではないし求道者でもないので、怒られてしまうかもしれないと恐いが、そういった情熱がふつふつと湧き上がってきて仕方ない。

 大学に通ってみたい。
 神学校に、もう一度挑戦したい。
 そのためには、いまたくさん学んで、いろいろなものごとをよくよく見極めることだ。行かない、という選択肢も含めて。
 そして、充分に仕事もすること。
 事に仕えるということが、仕事。
 つねに使命を忘れず生きていたい。

 7月3日は、仕事を進めたい。せめて6日までには仕上がるように……。